2010年10月1日施行

第15条 ドライバーの優劣を決定するもの


プロとアマ、GTマシンとN1マシンが混走する十勝24時間レース



[モータースポーツはスポーツ?]



 ドライバーの優劣を決定するもの。つまりは、ドライバーのポテンシャルを客観的に判断する方法とは? この結論は難しいようで、実は簡単なのかもしれない。ドライビングテクニックの優劣は、ドライビングレベルが上がるほどにプロアマの垣根がなくなり、レースにおける勝負強さ(精神面や経験によるもの)やクルマのセッティング能力、レーシングチームやスポンサーからの求心力などが基準となってゆく。その上でレースやテスト走行の経験を積み上げてゆき、あらゆる速さに磨きがかかってゆく。プロレーシングドライバーを基準に考えてゆくのであれば、ファンからの人気、スポンサーからの信頼などが速さと強さを生み出す源。つまり優劣の基準はレースファンであり、スポンサー企業(時には個人)である。アマドライバーの場合は、モータースポーツ活動におけるリザルトや狭い範囲での、おやまの大将でしかない。それ以外に速さを決定する要素があるとすれば、やはり速さや巧さを認定する制度を作る以外には方法がないだろう。悲観しているのではなくて、それが出来たならば「ドライビング」を極める目的はプロレーシングドライバー志向だけではなくなり、きわめて純粋なスポーツとして発展する可能性がある。そうなるならば、交通安全への貢献という点で、社会的有用性がモータースポーツには秘められていると思う。
 モータースポーツドライビングを身近なものにしてきたサーキット走行会でも、近頃は様相が変わってきた。レギュレーションによって速さを一定レベルにスポイルしているレーシングカーに対し、全くレギュレーションの存在しないナンバー付?サーキットマシンのラップタイムが、雑誌企画のサーキットタイムアタックなどで、異常なまでにレベルアップしてきているのだ。メーカーやショップのCIには大切な活動だが、クルマもドライバーもレベルが高すぎてしまう。ギャラリーや読者の立場になってみれば、おもしろい企画ながら、サーキットを気軽に楽しむ一般ユーザーとは懸け離れた世界になってしまった。悪いことではないのだけど、公認レースと同じような筋道をたどらなければいいが・・・。
 モータースポーツをスポーツとして享受できる条件は、常識的な価格で手に入るクルマで、借金しなくてもランニングコストが負担できる範囲で、普通の人がドライビングが楽しめる事。サーキット走行会やラップタイムランキングにもレースの世界のように明確なクラス分けが必要になってくるのだろうか。その点では、グリップよりもドリフトの方が趣味のスポーツとして息が長いだろう。



ドラテク皆伝第16条

ドラテク皆伝第14条

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